それは慌ただしい拝観だった。二日市で列車を降り、時計代わりに使用している携帯電話を見ては時刻の確認をし、まだ大丈夫だと予定表を見比べながら何度も安堵していた。
タクシーで向かったのは観世音寺。それがどの位置でどの方向かもわからずに、運転手に何分で着くのか、帰りは電話で呼び出せばどれくらいで来ることができるのか、あるいはバスが出ているのか、そんなことを聞いてばかりだった。
参道の入り口には10分ほどで着いた。しかし教わった帰りのコミュニティバスの時刻を見てみると、拝観の余裕は20分ほどしかない。まあどうにかなるだろう。そう気楽に考えて境内に向かった。
いつか写真で見た、あのお堂が真正面にあって、近づきつつカメラを構えると、数人の観光客がわざわざ脇に身を隠してくれた。一枚、また一枚。近づきながら撮影したのだが、その間も時間は過ぎる。寺の由緒を書いた案内板も読む余裕がなくカメラに収め、あとは宝蔵に向かうのみ。戒壇院にはとても時間を取れそうになかった。
宝蔵がコンクリート造りの、さほど古くはない建物であることを近づいて初めて知った。そこに至る風景は、イザブログで見た記憶がある。なぜか懐かしい記憶。宝蔵の入り口に来てみると、何人かの履物があって、半ば一人だけでその空間を占めることのできる淡い期待をかき消されたようにも思えたが、とにかく靴を脱いで受付に急いだ。
拝観料は500円。絵葉書を先に買い求めた。そうして階段を上る。階上に広がる空間は、図書館のカビ臭さとは少し違った、独特の過去の時間を内包するかのような匂いを漂わせている。壁際にぐるりと並べられた諸像は、何年の月日を経たのか、その空間において従順な姿を保っていた。
諸像はどれもが重要文化財であるようで、丈六の十一面観音立像をはじめとして、すっくと構えた姿は、長い時間を経た姿とは言え、今もなお人々の願いを受け入れるひたむきな菩薩、如来の存在そのものであるようだった。
どの尊像をまず近くから拝見しようかと見回して、聖観音像の前に、手を合わせる一人の婦人の姿が目に付いたので、そっと近づいてみた。小さな賽銭箱がどの像の前にも置かれているのだが、すぐ横の小さな十一面観音像と地蔵菩薩像の前でも、このご婦人は賽銭を投げ入れたのだろう。その音の記憶が私にはある。
彼女はしばらく眼を閉じて願い事をしていたようだったが、やがて向き直り、5メートルを超える十一面観音像に歩いた時だった。こちらをふと見たその表情が、どこかで会ったことのあるご婦人であるかのように、私の記憶を呼び起こした。それは彼女の私を見る表情に、安心感のような、和らいだ何かを感じ取ったように直感したからかもしれない。
私は一歩近づいた。彼女は少し体を起こし、不思議な興味を持つ一個の人間であるかのように私に視線を向けた。さまざまな記憶を一瞬のうちに私は引き出そうとしたのかもしれない。これまでの記憶がどう関連しているのかを瞬時に理解しようとしたとも言える。そうして直感したのは、そして思い浮かべたのは、ここで巡り会いたいと思った存在。いやそんなことはあるはずもなく、私の勘など幻を思い浮かべるようなものだと思いつつ、もしや、と諸像に願いを聞き入れてほしいと今すぐに伝えたかったことがら。太宰府、観世音寺、この付近の風景写真、戒壇院・・・
「あの、失礼ですが。」
私が尋ねたのと、そのご婦人がやはり、あの、と声を出そうとしたのが同時だった。
「もしや・・とりさん・・・ですか。」
「あ、はい。イザのブログの、ですよね。あ、もしかして・・」
そうご婦人が言いかけた時、不思議な安堵感を覚え、思わずにこりとしてしまった。ご婦人は駆け寄るように近づいてきて、
「う~さま・・ですか・・」
「あ、そうです。そうです。」
二度繰り返して、彼女の言葉が正しく、私の勘が当たったことをたどたどしく喜びの言葉に表した。そうとしか言葉を選べなかったのだ。
「ああ、こんなところでお会いできるとは。」
「いや、こちらこそ、いつももしかしてと思ってはいたのですが。」
「いつか時間限定でお見かけした姿の通りです。あの時は眼を隠していらっしゃったけれど。」
「ああ、そうですね、一度載せたことがありましたね。」
初めてのような、何度も会って見知っているかのような、互いを見ながら不思議としか言いようのないこの瞬間を喜び合っていた。
「相変わらずお忙しいのでしょうね、う~さまは。あら、呼び方はこれでいいのかしら。」
「構いませんよ。ぜんぜん。」
「お時間は大丈夫なのかしら。」
「あ、そうです、そのことを忘れていました。16分のコミュニティバスに乗るかタクシーを呼ばないと。」
「スケジュールがびっしりなのに、お忘れになったり、不思議なう~さまですね。」
「もういつもこんな感じです。せっかくお会いできたのに。」
「本当に残念。でも会えたということが大事なんですものね。信じられないくらいですもの。」
「不思議な巡り会いです。でも人の出会いはいつもそうですよね。」
「一期一会。つくづくそう思います。」
「あ、もう行かなくては。」
受付で履いたスリッパが脱げそうになるのを足にはめ込むようにして歩き始めた。
「下までお見送りします。」
「いいのですか。仏像すべてを順に拝んでいらっしゃったようでしたけど。お邪魔してしまって。」
「いえいえ、母親の供養に、時間があったらいろんな仏様に手を合わせているんです。ささっと済ませたり、心で祈るだけだったり、いろいろですから。」
すべてこちらの都合で急がせてしまっているようで、恐縮しつつ階下まで来ていただいた。外に出るとぽつりと雨がかかった。
「雨の日のほうが、花がきれいに撮れるのでしたわね。」
「あ、そう書きましたね。そうですよ。こんな日はいい色が出ると思いますよ。」
「すぐ外に白い小さな花が咲いているんです。お撮りになったらいかがですか。きっといい作品が。」
「あ、見ましたよ。来るときに、何の花だろうと思っていたのです。」
「う~さまは花の名前は苦手でしたものね。」
「そうです。まるで覚えられなくて。」
そう話すうちに、参道の手前にその花が見えた。
「あの花はね、まぼろし花と言うんです。」
「まぼろし花。そんな花があるんでしょうか。」
「うふふ。やっぱりご存じじゃなかった。白く、美しく咲くんですよ。でもね。」
「でも?」
「夢の中にしか見えない花なのよ。うふふ。」
「夢。」
私はその時にすべてを知った。それは白昼夢でしかありえなかったのだ。振り返ると、人影はどこにもなく、宝蔵だけが何事もなくそこにあった。もちろん白い花はもうどこにもなく、建物の向こうに咲く小さな黄色い花が見えていた。その花の名は・・それは間違いなく現世の花なのだろう。
考えているうちにまた雨が落ちた。この雨はどうやら再び夢を見るのを拒んでいるかのようだった。それでも懐かしい出会いは、現実の思い出と同じように、記憶に刻まれている。
素敵な出会いをありがとう。
いったい誰に感謝したのか、そんな言葉をつぶやいていた。観世音寺の幻・・・

長い空想物語にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。torisanさんには勝手な空想に登場いただき、失礼な描写になってしまいました。どうぞご容赦願います。
きょう観世音寺に20分ほどいたのは本当のことでした。
まったく慌ただしい限り。戒壇院を見る時間もなかったのです・・・
by 雨来早夢
観世音寺にて